デヴィッド・ヘルフゴット David Helfgott


1947年オーストラリア、メルボルンに生まれる。

ユダヤ人でポーランド移民の厳格な父ピーターに習い、ピアノを4歳から始める。
ピーターは息子の優れた音楽的才能に気付き、自らが果たせなかった音楽家になる
夢を託し、できる限りのお金と愛情を息子の教育に注ぐ。しかし、ヘルフゴット家
の家計は困窮を極め、デヴィッドが6歳の時、パースに移り、裕福なユダヤ人たちか
ら経済的援助を受ける。

ピーターのピアノのレッスンは厳しく、デヴィッドがうまく弾けないと、怒鳴り
ながら手厳しくピアノの前から放り出した。コンクールで優秀な成績を重ね、
パースの音楽界は将来を嘱望する。神童ピアニストの活躍は、ヘルフゴット家を
援助してきたユダヤ人社会の誇りでもあった。

14歳の時、ヴァイオリニストのアイザック・スターンの前で独奏し、その才能を
認められる。アメリカ、ペンシルヴェニアにあるカーチス音楽学校へ来るように
言われるが、父親には経済的余裕がないのは明らかだった。

パースの音楽界とユダヤ人社会の有力者がデヴィッドを援助する資金を募る計画を
立て始める。スターンと、ユダヤ人の有力者がデヴィッドの将来について話し合う
会合をもったが、ピーターは招かれなかった。

それまで感じてきた複雑な挫折感が頂点に達したピーターは、計画を白紙に戻す。
それは今まで父親の愛情を信じてきたデヴィッドに対する裏切りであった。

その直後、デヴィッドは世界が<霧>に包まれてしまったように感じる。
次第に自分を周囲の環境から切り離すようになる。学校でも、家でもしゃべらなくなる。

ピーターはショックを受け、狼狽し、怒り、しまいには二人が口をきくといつも
けんかとなる。学校では一人ぼっちで、家では父親との対立に悩み、デヴィッドは
急速に世界との接点を失っていった。ピアノだけが唯一の救いとなり、練習を続け、
レパートリーを増やす。

18歳の時、奨学金を与えられ、ロンドン王立音楽院に留学する計画が持ち上がるが、
ピーターは再び反対する。19歳で家を出て、ロンドンに旅立つ。

  王立音楽院に入学し、勉強を続けた結果、傑出した演奏をするようになるが、次第に
明晰に考えることは難しくなっていく。飲酒量が増え、金欠で暮らしは荒れる。
身なりがだらしなくなり、忘れっぽくなって、欠席や遅刻が目にあまる。

 初めて、医師の診察を受け、精神安定剤を処方される。その後、精神科医のところへ
定期的に面談に通い、気持ちが楽になり、急速にピアノが上達する。しかし、薬を
手放せなくなり、量が増す一方になる。

カレッジ3年目、ラフマニノフのピアノ協奏曲第三番の全曲を演奏することになるが、
それが終わったら帰国したいと、その事ばかり考える。演奏の成功で賞と奨学金を与えられ、
帰国できなくなる。

4年目、薬の副作用で集中力がなくなり、ピアノがうまく弾けなくなる。自ら精神病院に
入院する。しばらくして、退院し、復学する。学年も終わりに近づき、デヴィッドの
苦痛に耐える力も限界に達する。音楽は趣味にしておこうと考える。

オーストラリアに帰国し、病院に入院し、4ヶ月後、退院する。
1971年、デヴィッドよりずっと年上の離婚経験者で、四人の子持ちの女性と結婚する。
女性との関係が悪くなるにつれ、デヴィッドの経済状態も健康状態も悪化する。精神病院に
入院し、離婚する。

1975年ピーターが亡くなる。しかし、あまりに厚く霧がかかっていたせいでその死を
理解したり、感じたりすることができなかった。

12年間の精神病院を点々とする生活をした後、退院する。ワイン・バーのレギュラー・
ピアニストになる。

1983年、年上の占星術師ギリアンと出会う。1984年のコンサートで音楽界に復帰し、
ギリアンと結婚する。その後、障害を抱えながら、世界各地でリサイタルを続ける。

父ピーター

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