さて、ここからが“『竜馬がゆく』をゆく”の始まりです!
ちなみに、『竜馬がゆく』は司馬遼太郎の長編小説で、「龍馬」でないのは司馬自身がフィクションとしての彼を描いたためと言われています。
最初は、史跡 寺田屋へ行きました。
龍馬は薩摩藩の紹介で寺田屋を京の宿として利用し、「梅の間」という部屋を愛用していました。
慶応2(1866)年1月23日、幕吏の襲撃を受けたときもここに泊まっていました。
その時は、お龍(後に龍馬の妻となる)のおかげで、負傷しながらも脱出に成功しました。
梅の間には、現在もその時の刀痕や弾痕が残っています。迫力がありますね。
また、文久2(1862)年、薩摩藩の急進的尊攘派志士が、同じ薩摩藩士穏健派の急襲を受けて殺傷された「寺田屋事件」でも有名です。
次に、坂本龍馬の墓へ行きました。
維新前後の多くの志士たちが眠る、京都霊山護国神社の墓所に、同士中岡慎太郎と並んで葬られています。
霊山護国神社の隣には、霊山歴史館があります。
幕末から維新にかけて活躍した人物の史料が、数多く展示されています。
近江屋で龍馬を斬った刀や、新選組局長・近藤勇の鎖帷子など生の資料もたくさんあり、見ごたえがありました。
この時代に日本を動かしていったのは、志を持った若者たちなんですね。
昼食(にしんそばを食べました。おいしかったぁ。)をとった後、酢屋(龍馬が海援隊本部を置いた仮寓跡)、池田屋騒動址へ行きました。
池田屋騒動址は、龍馬とはあまり関係がありませんが、新選組に興味があるので行きました。
元治元(1863)年、新選組が長州藩の定宿・池田屋を襲撃し、多くの死傷者を出しました。この事件で倒幕が一年遅れたと言われています。
現在はパチンコ屋になっていて、少し残念でしたが、行くことができてよかったです。
この旅の最後に行ったのが、坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地(近江屋跡)です。
近江屋は、坂本龍馬の隠れ家でした。
酢屋から醤油商近江屋に移った慶応3(1867)年11月、坂本龍馬は中岡慎太郎とともに、暗殺されました。
倒幕すべきと考え、奔走し、維新を見ることもなく暗殺された龍馬の気持ちを思うと、胸がいっぱいになりました。
龍馬ゆかりの地は、それぞれに熱く語りかけてくるものがありました。
私も、自分の国・日本について、もっと真剣に考えなくてはいけないと思いました。