最終更新1997年1月1日
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自然とのふれあいのすすめ
−心を癒すネイチャーゲーム−

日置光久

 「オゾン層の破壊」、「地球の温暖化」、「酸性雨」、「熱帯林の破壊」、新聞のヘッドラインではない。これらは、小学校用の環境教育副読本で扱われている項目の一部である。現代は、まさに小学校からこのような環境問題が扱われる時代なのである。

 地球上の環境問題は、近年世界的な高まりをみせ、我が国でも小学校、あるいはもっと早く幼稚園、保育園段階から環境問題を教えようという動きが活発化している。それはそれで結構なことかもしれないが、はたしてこれらの「大きな問題」がどこまで子どもたちにとって理解でき、生きて働く力となりえるだろうか。いや、子どもに限らない。我々大人でも、これらの「大きな問題」をどこまで理解し、日々の生活に実践できているだろうか。

 どうも我々は、このような大きなテーマに弱いようである。キャッチフレーズとして口々に唱えるが、実際は問題の解決に対して少しも役に立っていないことがままあるのである。このようなことを考えながら、もっと身近で楽しい環境教育プログラムはないのだろうかと探しているとき出会ったのがネイチャーゲームであった。ここでは、ネイチャーゲームの解説を加えながら、自然とのふれあいの楽しさ、すばらしさについてふれてみたいと思う。

ネイチャーゲームとは何か・・・五感の覚醒

nature2.jpg 仕事が一段落ついたとき、そっと眼を閉じて、その場から十歩ほど歩んでみていただきたい。いかがだろうか。二、三歩踏み出しただけで、もはや動けなくなってしまった方も多いのではないだろうか。

 我々人間は、五感というものを持っている。これは、いってみれば五つの情報の取り込み口を持っているということである。五感を通した五種類の情報を駆使することによって、我々は対象をより深く、豊かに知ることができる。

 現代社会では視覚にばかりウェイトが置かれているが、本来人間には視覚以外に四つもの感覚が備わっているのである。眼を閉じて歩み出して、次の踏み出しがもはやできなくなったら、落ち着いて聴覚に神経を集中させてみるとよい。今まで意識しなかった、パソコンの稼働音、外の雑踏、遠くで廊下を歩く人の足音、さらには自分の呼吸音まで聞こえてくることに気づく。眼を閉じたまま、そっと両手であたりを探ると、デスクの表面の適度な摩擦を保持した滑らかな感触やロッカーの金属質のひんやりした感触を楽しむことができる。

 このような感覚に気づくことが、ネイチャーゲームの入り口なのである。本来人間の持っている感覚を覚醒させ、自然とのふれあいの楽しさやすばらしさを味わおうというのが、ネイチャーゲームのねらいである。

ネイチャーゲームとは何か・・・自然とのふれあい

 「ネイチャーゲームとは何ですか」とよく聞かれる。ネイチャーゲームとは、プログラム(体験)に与えられた名称なので、言語による辞書的説明では、なかなか理解してもらうことができない。体験を理解するには、やはり体験するのが一番なのである。とはいえ、日常的には、言語による短い説明が要求されることが多い。そのときは、「五感をフルに使った環境教育型の自然体験プログラムです」と答えることにしている。相手は、「ほう」と頷きながら、しかし困惑した顔をしていることが多い。

 質問した相手の頭の中には、どうも「ゲーム」という響きから、一定のイメージが構成されるようである。そのイメージは、たとえばテレビゲーム、ゲームセンター、トランプ遊技などの類である。どうも、あまり肯定的なイメージとはいえないようだ。しかしながら、考えてほしい。このまえ広島で開催されたアジア競技大会も”Asian Games”である。ゲームとは、ある一定のルールのもとでの人間の活動の総称なのである。このように広い意味で「ゲーム」をとらえると、ネイチャーゲームの意味するところがみえてくる。すなわち、ネイチャーゲームとは、ある一定のルールのもとに自然とふれあっていく活動なのである。

感覚を研ぎすまして自然を感じよう・・・   目隠しイモ虫

nature3.jpg 森の中を歩くと、ただそれだけで気持ちがいい。地面の上でゆらゆらと踊る木漏れ日、木の葉を渡る風の音、ひんやりとした湿気を帯びた森の空気、樹皮を這い上がるツタ性の植物、そして草いきれのどこか懐かしい匂い。簡単なルールに則ってこれらの自然と交流すると、さらに楽しさが増大する。次に、簡単にできるネイチャーゲームを紹介しよう。

 参加者は一列に並んで、ハンカチやバンダナで目隠しをする。それぞれ前の人の肩に手をかけて、イモ虫をつくる。指導者は先頭の人の手を取り、ゆっくり自然の中の散策を始めよう。このとき、指導者は自然案内人であり、散策中に様々な自然を参加者に感じさせるよう配慮することが大切である。では、参加者はどのような自然を感じることができるだろう。

 手のひらを空に向け、片手を高くあげてゆっくりと回転させてみよう。しばらくすると、参加者の手はおもしろいようにみな同じ方向で止まる。太陽の光が、手のひらに心地よいぬくもりを提供してくれているのである。普段ほとんど意識したことがなかった太陽のエネルギーが、手のひらから身体の中へ流れ込んでくるのがわかる。

 さらに、注意を手の感覚のアンテナに集中してみよう。微かな空気の動きが、手のひらのセンサーにキャッチされる。今まで気づかなかった森の中のミクロ・ウィンドである。森も、呼吸をしているんだ。森と自分との距離が一歩近づいたような気がする、すてきな瞬間である。

 今度は木を感じてみよう。指導者に誘導されてさわった木肌は、ひんやりしている。森の空気と同じだ。木の肌はごつごつしていて、縦方向に樹皮の裂け目が感じ取れる。両手を回すと、ちょうど一抱えほどの太さの立派な木だ。微かな樹液の匂いが心地よい。手を根本の方に這わせていくとひんやりとした柔らかな感触。なんと、この木はコケの靴下を履いていたのだ。そっと頭をもたげると、時々小枝や葉がふれてくる。手探りで葉をさわってみると、縁のギザギザが手をくすぐる。枝の先端にいくにしたがって、葉の感触も徐々に異なってくる。単に大きさが変化するだけではない。直接ふれることによって初めてわかる、微妙な圧力のゆらぎの変化である。触覚を通した樹木との交流は、とてもスリリングだ。

感じることから始まる環境への思いやり

 ネイチャーゲームは、現在70を越える種類が開発されている。その活動の内容も、比較的運動量があり活発なものから、静的なメディテーションを中心としたものまで多様である。これらを、参加者の人数や年齢、自然の状態、季節や天候などを考慮し、組み合わせて楽しむことができる。私は、ネイチャーゲームを大学の授業に導入するとともに、ボランティアスタッフたちと市民を対象として展開している。友達どうし、親子づれ、あるいはおじいちゃん、おばあちゃんとお孫さんという組み合わせもあり、老若男女が参加して楽しんでいる。ネイチャーゲームは、自然とのふれあいを楽しむものであるが、人と人とのふれあいも深めるものだと感じている。

(おわり)