最終更新1997年7月12日

ほたるぶくろの詩

安森征治

 梅雨に入って、我が愛すべき通勤路の山道には、白い花の野草が目につくようになった。ヒメジョーンが咲き乱れ、野いばら、卯の花、しろつめくさその他名も知らぬ草花にいたるまで、白い花が雑草のなかに一際目立っている。その中にあって、紫の野薊は一服の安らぎを与えてくれ、車をとめて傍によって見つめることもしばしばである。
 卯の花が咲けば「夏はきぬ」を口ずさみ、あざみを見つければ「山にはやまの憂いあり、海には・・・」と歌い、名も知らない白い花ならば「しろいはながさいてたー」とハミングしながら運転し、「ぼかー しあわせだなあ」と独りごとがついこぼれる。
 白い花といえば、この時分、ほたるぶくろが咲くはずだが、とふと思ったその日から私の目はほたるぶくろ探しの目に変わった。こうなると卯の花も、ヒメジョーンも目に入らなくなった。毎日、通勤途上では、鵜の目鷹の目であの可憐な釣り鐘状の、風にそよぐほたるぶくろちゃんを探すことになる。
 いつしか「ぶくろちゃん」と命名し、「ぶくろちゃんやーい」と野を越え山越えて通勤するのである。が、これが見つからない。何日か通勤しながら探してみたが、結局通勤路には「ぶくろちゃん」は「ない」の結論に達した。
 それでもどこかに涼しい顔をして、風に揺れているぶくろちゃんが私の目にとまるのを待っているのではと思い、つい流し目(そうしないと事故る)の毎日が続くのであるが、やっぱり「ない」。今日もなかった、と力なく帰宅する日が続いた。
 こうなるとしつこいのが身上の私である。「この梅雨期間に絶対に捜し当てる」をモットーに、通勤路以外のところをかけずりまわることとなった。
 家内ももうあきれ顔で、「絶滅したんじゃろう」とつれない。
 そんなある日、家内が晴れ着を着て、エアポートホテルで結婚式があるので送ってくれという。よし、帰りに本郷を回って帰ろう、と「ぶくろちゃん」の姿を即座に思い浮べて、空港ホテルに向かった。
 これまでに通ったこともない道を、ゆっくりと下る。途中車を止めて、あっちこっちさがしてみるが、やっぱりない。すぐ近くで鴬が冴えた音色を奏で、鮮やかな野薊が目を引く。「ここらにもぶくろちゃんはいないか」と独りつぶやき、こうなると週末には県北へ行ってみようと半ばあきらめかけたその時、道路から30メートルは離れた山際の田んぼの畦に、「ちらっ」と花影が私の目に入った。あわててバックし、良く見るとたしかにホタルブクロだ。幸い草がきれいに刈ってあり、難なくたどりつく。そして独り言である。「あった、あったブクロちゃん」、「あるじゃないか、あるじゃないか」 やっと捜し当てた彼女。かぼそい茎に可憐な花の房をつけ、そよっと吹く風にゆらゆらと揺れるぶくろちゃん。うれしさ一杯の私でありました。
 人目をはばかり、3株ほどいただいて、裏庭に植えたのはいうまでもありません。
 感謝の気持ちと、家内への「どうだ」という気持ちで、花瓶にさした一枝を心を込めてスケッチしている今日このごろであります。
 ほたるぶくろ・・・。いい響きの名前です。
 蛍をいっぴきつかまえてきて、花のなかへ入れて、灯りを消してみるとどんなだろうか、「まさにほたるぶくろだな。神秘的だろうな。」と独り言をいっています。

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  風にそよぐほたるぶくろ(写真)     心を込めて描いたほたるぶくろ(水彩)

(おわり)